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「楽しい」をあなどってはいけない ~楽しいというエネルギーについての検証~

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暮れからあることをきっかけに、私は喜びが次から次にあふれてしまって、どうにもとまらなくなっております。

 

そんな話なんかだれも見たくも聞きたくもないでしょうが、

私のほうは書きたくて書きたくてしょうがないんですよね。

 

なので、ちょっとずつ、発散させてもらいます。

 

全然、この先はつきあわなくてもいいですーー

 

むしろ、見ないでもらいたいです(笑)

 

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 なんでこんなことになってしまったのか

 

ひとつは、子どもの巣立ちというのもポイントかもしれません。

 

この先、老後のことだとか、どうやって生活をし続けていこうかとか、現実的な問題、どこのお宅にもありますよね。

 

これまでは子どもの子育てだとか、進路をどうしたらいいかとか。

 

ふと立ち止まってみたときに、自分自身がこの先、どう生きて行ったらいいかというところで絶望に陥っていました。

 

「自分が何者で、何をする人なの?」

 

それが見えない。

 

そのなかで子どもはそれぞれ「自立したい」と言い出し、その一方で手離せない私の中で葛藤がうずましていたんですね。

 

それまでは要するに、自分のことをかまうヒマと余裕がなかったんです。

 

ありのままの私

昨年は、そんなことで「自分をかまう」ことを許しました。

 

実は私、意識の勉強をしてきたので、自分でも自分のことを扱うツールはもっているんですが、

 

どうしても自分で触れられない敏感なゾーンがあって、そこがネックな感じが長年あったんですね。

 

そして、あるとき、機会があって霊視できる人に私のありのままの存在ってどんな感じか、について教えてもらったんですよ。

 

そのときは、「そうなのかな?」って違和感ありました。

 

だって、私がよしとしているのとまったく別物で、どちらかというと軽蔑しているアイデンティティだったからです。

 

私が良しとしているアイデンティティは、「しっかりしてちゃんとしているお母さん」なわけで、

 

きちんとしていて、成功しているそんな人になりたくて勉強したり、努力もしてきたし、要するに子どもには「私のお母さんは立派だ」と思われたいわけ。

 

それをずいぶんと処理したつもりだけど、どうしても手離せない執着があったわけです。

 

でも薄々、本当の私のアイデンティティはその霊視できる人の言ってるほうのがあっているって、感じてはいたんですね。

 

それが去年の後半のことでした。

 

世の中は喜びにあふれている

 

実は自己探求の旅を去年は夏以降、ずっと続けてきてました。

 

そのなかで、

 

自分が思っている自分と、

外から見られる自分がずいぶん違うことに気づき、

 

また、それをすこーーしずつ受け取れるようになってきたんです。

 

が。

 

どうしても避けられないのが、一番、ブラックだった家族のことでした。

 

いやー、これ。

 

まじでトラウマの根っこでした。

 

このことに関しては、また機会があったら書きます。

 

それで、

 

「感謝は大事だから、感謝をしなくては!」

 

とか

 

「わくわくがポイントみたいだから、わくわくしなきゃ」

 

とか。

 

そんな感じだったから、一時期、「わくわく」て言葉が嫌いになってたんです。

 

どっかウソくさくてねー。

 

砂漠に水がわく感じの「わくわく」

 

でも、自己探求をしていたあるとき、

 

「体の奥に一点、光がちかっと静かに光った感じ」があったんです。

 

もう、ほんと一瞬。

 

 

それはすぐに消えてしまいましたが、

 

でもその感覚は特別で

 

 

「これ、絶対、忘れたくない」

 

って強烈に思ったんです。

 

それがほんと、すこーしずつ広がって行って・・・・。

 

2019年の終わりにには、とうとうその喜びが

 

「大きなツボからあふれてしまった」

 

というか、

 

感覚的には

 

 

「パンドラの箱が開いた!」

 

って感じで、

 

「うれしい!!」

「楽しい!!」

「わくわくするーーーー!!」

 

っていう感情があふれてしまって、どうしようもなくなったんですよ。

 

これ、説明できないです。

 

まさに爆発です。

 

わたしのなかのビックバーンです!!

 

そのころ、ちょうど懇親会があって、その日はずーーーーーーーっと

 

「楽しい!」

「うれしすぎる」

「楽しい以外何もないわ!」と、会う人、会う人にまさに飛び跳ねる勢いで言っていたんですね。

 

ついでに、楽しすぎてたくさん飲んで、終電で寝ちゃって終着駅まで行って朝まで過ごして、それでもずーーーーとおかしくて。一人でニヤニヤ笑っておりまして。

 

軽いそう状態でした。

 

ビョーキでした、一種の。

 

ナチュラルハイでした。

 

 

このとき、人生ではじめてくらいですかね。

 

感謝っていうのも、同じように自然にわいてくるだな、ってわかりました。

 

 

でも、それでも周りの人もおもしろがって、(私が勝手に思うだけなんですが)

そんな私のことを一緒に楽しんでくれてる感じだったんですよね。

 

実は、ここでカミングアウトしちゃいますけど。

 

自分で書くのもなんだかおこがましいのですが。

 

霊視できる人がいっていた私のありのままの存在って

 

 

フェアリーテールちゃん

 

でした。

 

 

いわゆる妖精ですね。

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しかも「フェアリーテール」ではなく、「フェアリーテールちゃん」ですからね。

 

 

 

もう、完全にみなさん、ひいてるのがわかるーーーー。

 

でも案外、「あああー」と言ってくれる率が高いのです、不思議なことに。

 

もし、フェアリーテールちゃんを喜んで受け止めてくれる人が少なくなさそうだなって、いうのがだんだんわかってきたので、

 

まぁ、自分を許して、あえてそのアイデンティティを着てもいいかな、と最近思うようになりました。

 

(とはいえ、自然に漏れ出てくるので、しょうがない一面もありますので、その際はお許しください)。

 

この時代だから必要な見方

 

今回、この告白を書くのは実は勇気がいりました。

 

ありのままの自分をさらすって、こわいですからね。

 

でも、もう正直にしか生きれないんです、私。そういう体になってしまいました。

 

そして、そのなかで感じたことを書いてみます。

 

ちょっと話がずれるんですが、バンジージャンプを経験した方はいらっしゃると思います。

 

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高所恐怖症の私ですが、一度だけ体験したことがあります。

 

バンジージャンプっていうのは、自分で「飛ぶ」と決めて、いろんなものを手放してそこから飛び立つんですが、

 

ジャンプ台の下は何もなくって、下をみたらゾワーーーーーッってしますよ。

 

そりゃあもう、恐怖でしかないです。

 

見るのは、上です。それでないとあまりの恐怖で飛べないからです。

 

これがいつも原体験であるんですが、

 

わくわく楽しい今の自分ではありますが、そりゃぁもう、私にも現実のくらしっていうのがありますよ。

 

もちろん、現実的なことをなんとかしなくてはって思います。

 

怖いこともあります。

 

でも、そこをなんとかしようと細工しても、ちょびっとくらいしか動かないんですよね、これがまたね。

 

それで不思議なんですが、おもいっきり「今を楽しもう」って、前述したような「おもしろモード」でおもしろいこと、楽しいことに注意を向けることにしてました。

 

そしたら、なんかわかんないんですが、みんな、ほかの人がおもしろがってくれちゃって。

 

なんだかしらないですが、何かが動いてきてる、そんな感じです。

 

魂が発火している

年の暮れから、なぜかわからないのですが、人と会う機会が多くなりました。

 

私って、人に会うと緊張するってタイプなんですよ。

 

それがね、だれか知ってる人に会うとまぁ、うれしくってうれしくって。

 

自然ににやけてくるわけ。

 

なんでですかね。

「おもしろモード」に自分でスイッチを入れれるようになってきましたので、

 

そのときの私って、なんかおもしろいことないかなって、いたずらをする子どものようになっちゃうんですよ。

 

こういうところが、やっと自分の新キャラを自分で操縦できてきたかな、って思います。

 

なので、「かおりちゃんと会うと危険かも」という心配はご無用です(笑)

 

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楽しいをあなどってはいけない

 

その後、しばらく「フェアリーテールちゃん」を自分のなかで肯定しつつ、その新しい自分キャラを持て余しつつ、日々、巻き起こる「おもしろい」ことをただ楽しみました。

 

だってぇ、もう、すごいシンクロがいっぱい起きちゃってて。勝手にー。あまりのシンクロで、吐きそうになるくらいの日がありましたし。

 

おもしろすぎてーーーー。

 

そんなわくわくするちょっとしたことを自分なりにキャッチして、ちょこっとずつSNSに発信してました。

 

もう、書かずにはいられないわけですよ、これがまた。

 

もうね、そうしたら早寝の私ですが、目がギンギンになってきて興奮してきちゃうわけ。

 

正しいちゃんとした文章を勉強している方にはもう、申し訳ないんですが、

 

ただ、これがこうおもしろくって!!!

 

みてみて!!

 

みたいな、もうもう、あふれて出てくるわけですよ。

 

たとえばですね。

 

昨日なんかはこういうこと、ありました。

 

1)駅に行ったら電車が人身事故で遅延していた。

2)池袋駅に着いたら、普段、地下鉄しか走らない電車が地上にとまっていました。

 

これだけです。

 

おもしろくもなんともない、ただの出来事です。

 

それがもう、私的にはおもしろくってしょうがないわけ。

 

変態の域です。

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そこで、すぐに駅前のカフェに行ったら、ここも混んでたので、その二階のファミレスに。
 
意外にすいてて、270円くらいでドリンクバー。スマホチェックしてたら、沿線で職場が近くの知り合いから、同じく遅延の報告です。
 
私は、優雅にお茶タイム。
 
いやぁ、もう、朝からもうもう、なんか嬉しいんだか、なんだか、またワクワクがとまらなかったんで、クールダウンによかったわよー。
 
でも、逆にお仲間のLINEグループで、世界を変える的な熱い動画をシェアしてもらって、また、そこで私も再発火

 

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「何撮ってるんですか?」
 
と、聞いたら一人のお兄さんが
 
「これは、かなり珍しいことなんですよ」と示してくれたのがこの電車の写真。
 
お兄さん、静かな口調ですが、私の目にはお兄さんの魂が燃えるをみたわ!!
 
「鉄道ファンにとっては、すごい貴重なものなんです」
 
なんでも、普通は新副都心線か東横線にしか走らなくて、地上の池袋駅には入らない車両なんだそうです。
 
「人身事故により、普段はみられない車両がこちらにはいってきたんですよ」
(静かにメラメラ
 
「さぁ、どうぞこちらで(撮ってください)」
 
はっきり言って、私には価値はわかりませんが、お兄さんの情熱に応えて、写真をパシャリ。

 

 自分でも何がおもしろいのか、わからないんです。

 

だけど、なんかしらないけど、みんなおもしろがってくれちゃってて。

 

自分でわかるのは、とにかく

 

「魂がよろこんでいる」

「人っていいなぁ」

 

っていうそこなんですよね。

 

 

魂が発火してしまいました。

要するに、なんかしらないんですが(ってやたら使っちゃうんですが)

 

気持ちがどうのっていうのじゃなくて、私の魂が喜んでいるって感じなんです。

 

わかります?

(ってだれに聞いてるんだ?)

 

とにかく「うれしい!」

 

あんた、自分がフェアリーテールちゃんだって、よく気づいたじゃん。

 

とか、そんな感じなのかな。

 

なので、その感じがフィットして落ち着くまで、毎日、毎日うれしくって、ニヘラニヘラしちゃうわけですよ。

 

まともにご飯が食べれないんですよ。

 

口元がニヤついちゃってて。

 

食べてるものが口からこぼれちゃう・・・・。

 

ここんところ、だいぶ、落ち着きましたが、発火した火が炭火くらいになってるって感じ。

 

でも、ちょっとでもおもしろいものが現れると、発火しちゃうんで。

 

困ったものです。

 

 

 まとめ

見ての通り、何も持ってないんですよ、私って。

それでも「だれかの役に立ちたい」って思いはあるんです。

 

何もないけど、もしかしたら私がうれしそうにして、ぱたぱた羽ばたいていることでだれかがちょっと「笑えるーーー」ってちょこっと噴き出してもらったらいいかな、と思いました。

 

ありのままの自分を喜んで楽しんでいることで、何かお役に立ったかしら?

 

ほんと、よくわかんないんだけど、

 

かおりちゃんがうれしそうにわくわくしていると、インスパイアされる、とか

かおりちゃんがうれしいー! っていうと「本当にうれしそうだって感じるー」とか言ってくれる人が少なからず、いるので、

 

もしかしたら、それは才能かも(爆笑)