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東日本大震災。あれから8年 私は何ができたのか

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こんばんは、はぴらきです。

 

書きたいことがたくさんあるのに、なかなか形にできなくてもどかしいです。

 

そして、今晩は、いくつか書こうと思っていたことを後回しにします。

 

いつもは、もう寝ているのですが、やっぱり触れずにいられないこのこと。

 

311 東日本大震災 のことに触れてみたいと思います。

 

 

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「あの日」は星空がきれいだったそうです。

 

朝から、TVをつけると何度も「あれから8年」と繰り返されます。

 

もう、8年?

 

私はあの日、東京の自宅にいて、近隣の中学だった次女はまもなく帰宅。

その日はたまたま体調を崩して在宅だった高校生の長女。

(電車通学なので、場合によっては帰宅不可能だった可能性もありました)。

 

 

今までにない揺れの中で、ただただ「家族がみんな一つ屋根の下にいる」ことだけが不幸中の幸いと思いました。

 

我が家は、幸いにも家族はみんな在宅でした。

被災地から離れたところに住んでいました。

 

 

だから「もう8年?」と思うのかもしれません。

 

 

あの日、友達が仕事に行った先で帰宅困難者になり、何か情報を提供できないかとネットで情報を手に入れようと必死になっていました。

 

情報が刻々と鮮明になってきて、

 

何が起きていたかを知ったのは、翌日以降でした。

 

その同じ時間に、かの地では津波に襲われていたのですね。

 

あまりの被害の大きさに圧倒されました。

そして原発事故。

 

8年たつというのに復興へなかなかすすまない現実。

長期化する仮設住まい。

高齢者の孤独死。関連死。

 

かつてない被害のありように、

 

なんで、

こんなに物言わず忍耐強い東北の人が

苦しまされ続けなければいけないのか。

 

と、ついつい思ってしまうのです。

 

そう思うものの、実際に自分で現地に行って何かをする、ということができていません。

 

代わりにというわけではありませんが、5~6年前、長女が高校生の時にボランティアで現地に行ってくれました。

 

担任の先生がとてもボランティア精神あふれる方で、そのご縁でボランティア団体の行事で参加させてもらいました。

 

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数校の高校生が被災地でボランティアに

私はそのころ、意識を探求するプログラムの勉強をしていました。

 

物理的な貢献はできませんでしたが、

 

チームで「慈しみ練習」というワークをして、被災地に慈しみのバイブレーションを送りました。

 

そんな8年前です。

 

毎年、3月になるとやはり「311」のことを思います。

 

もう8年ですが、まだまだ8年です。

 

いろいろな意図が働いたという話もありますが、

 

そうであっても傷ついた人もあり、亡くなった方も、そしていまだに行方不明の方がいます。

 

娘がボランティアにいったあと、言ってくれた言葉がとても印象的でした。

 

「被災地の方がとても温かかった」

 

みなさま、身も心も傷ついていらっしゃるでしょうに。

 

若い彼らが来てくれたことを、とても喜んでくださった。そして、おそらく彼らが来てくれたことで元気ももらったことでしょうけれど、

 

私はその被災された方々の、忍耐強さの中の明るさに

 

娘の言葉を通してですが、

こちらが勇気づけられた思いでした。

 

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被災者の明るさを、そのまま「ありがたい」とただ受けるだけでなく、その奥の痛みにも心を向け続けたいと

 

やはりこの3月11日は思うのでした。

 

あの日は、星がきれいだった・・・。

 

今日のNHKのドキュメントは、とてもとても胸にしみました。

 

あ。

日が変わってしまいました。

でも、3月11日のうちにかけてよかった。

 

◆今日は2019年3月12日(火曜日)◆

旧暦:二〇一九年二月六日(如月)(日干支:戊申(つちのえさる) の日)