神聖であること クリスマスの由来とともに
こんにちは、はぴらきです。
クリスマスとなると日本では楽しいイベントになっていますね。
何かハイカラな季節の行事となっているのですが、昔から暮らしと切り離されたある種の違和感を感じていました。
今日はちょっとひねくれものの、私のつぶやきです。
私は東北地方が出身です。
若いころ、「なまりがないね」といわれるとちょっと大人になって洗練された気持ちになったものです。
でも、逆に何かアイディンティティがなくなった感じもして、変な感じがしました。
他の地方出身者が故郷のなまりを真似すると、どこかイントネーションが違うことに苛立ちがあります。
また、TVなどで微妙なイントネーションで「あ、この人同郷の人だ」とわかることがあります。
クリスマスと冬至
なぜ、こんな話を今日という日にするのか? と思われるかもしれませんね。
それは今日がクリスマスだからです。
11月には心がキュンとするようなクリスマスソングが街にながれ、イルミネーションで飾られ、すっかりクリスマスの雰囲気でした。
明日になれば、急に琴の音が流れだすのでしょう。
日本のクリスマスを、キリスト教の方がみたらどんな風に感じるのだろうか、ととても気になります。
クリスマスの由来
世の中のムードに茶々を入れるようで失礼かもと思いながら語源を調べました。
要するにクリスマスは「救世主であるキリストの誕生を祝うお祭り」ということですけれど、そもそもキリストが12月25日に生まれたという記録はないそうです。
キリスト教が広まる前から、古代ローマの宗教が大きな力を持っていました。
そこでは、冬至の日に行われていた「太陽神の誕生」に、イエス・キリストの生誕祭を結びつけたのが由来だそうです。
太陽が復活するということで、日本をはじめ古来から世界では冬至を大切な日と考えてきたのですね。
冬至について、少し調べてみましたのでよかったらご覧ください。
冬至と太陽の復活
太陽のエネルギーが減少する冬至のころ、神道もキリスト教も仏さまも太陽の復活を願っていたのですね。
自分のお国ことばが軽く扱われるのに違和感を感じるように、本来のクリスマスの意味をはき違えて単なるイベントとされてしまうのは、本来の宗教行事を神聖に感じる方々からしたらやはり違うのではないかと思います。
これは、昨今のハロウィンにも感じます。
色々な宗教を受け入れるのは、日本人の懐の深さとも言え、世界平和のもとと言えるかもしれません。
だからこそ、神聖さをあえて感じてみたいと思います。
今年のクリスマスはこんな過ごし方をしてみました。
世界中の人々の幸せとともに、世の中のどうぶつや目に見えない存在も……。
どうぞ、今日もよい一日でありますように、と願わずにはいられません。
◆今日は1018年12月25日(火曜日)◆
旧暦:11月19日(霜月・辛卯(かのとのう)の日)